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移り変わる時代の中で多様な役割を担ってきた宝くじ~その歴史や文化を辿る~

2023/12/06

  • 宝くじ

街中を歩いていると、見かけることの多い宝くじ売り場。「運だめしに……」と、購入したことのある人も多いのではないでしょうか。そんな宝くじですが、日本では江戸時代初期に登場し、現代の宝くじとは少し異なる点がいくつかあったようです。今回は、時代とともに変化をとげた宝くじの歴史や文化を辿っていきましょう。

移り変わる時代の中で多様な役割を担ってきた宝くじ~その歴史や文化を辿る~

引用元:「時代とともに振り返る宝くじのあゆみ」昭和44年(1969)のシリーズくじ|宝くじ公式サイト
https://www.takarakuji-official.jp/about/history/s41s58.html


日本で宝くじの起源となるものが登場したのは江戸時代初期といわれており、大阪府箕面市にある「瀧安寺」が発祥の地とされています。

当時は「富くじ」と呼ばれ、お正月に訪れた人々が、自身の名前を書いた木の札を唐櫃(からびつ)に入れ、1月7日に寺僧が3人の当せん者を選び、御守りを授けていました。ちなみに現在は、毎年10月10日に開催されている、「辨財天秋まつり『箕面富(みのおのとみ)』」にて行われており、当せん者は、招福と健康にご利益のある御守りを貰えます。

その後幕府は、富くじを「御免富(ごめんとみ) 」と名づけ、特定の神社で行われる興行(こうぎょう)の時のみ使用を認めるようになります。寺社が大破したり消失したりした際の、修復や再建を名目に許可し、幕府の寺社への経済助成策として位置づけたそうです。御免富は1764~1789年には第1ピークを、1812~1842年には第2ピークを迎え 、第2ピークの際は、御免富を行う神社の件数も大幅に増加し、2~3日に1度は行われていたといわれています。

移り変わる時代の中で多様な役割を担ってきた宝くじ~その歴史や文化を辿る~


しかし御免富が増えるにつれ、決まりを守らず幕府に内緒で販売する業者や、決まりを守っていたが寺社の数が飽和状態になり、赤字になるケースが後を絶ちませんでした。これらの理由から、幕府は天保改革の際に御免富を全面的に禁止 。富くじの文化は、表舞台から姿を消してしまったのです。

明治時代も、政府は江戸幕府と同様に、富くじや富くじに似た興行を禁止しました。その後も行われずに月日は流れ、ようやく太平洋戦争末期に、1等10万円が当たる「勝札」として復活します。当時は、1枚10円で販売されていたそうです。しかし、抽せん日より前に日本が敗戦し、「負け札」という不名誉な呼び方をされてしまいます。

その後は、終戦による経済的な極度の混乱を防ぐために、「政府第1回宝籤」という名前の宝くじが発売され、復興資金を調達するために各都道府県が、自由に宝くじを発売できるようになりました。ちなみに、都道府県で初めて独自に発売された宝くじは、福井県の「福井県復興宝籤」だそうです。宝くじは、このような流れを経て現在に至ります。

現在宝くじは、地方自治体が総務省に発売申請を行い、発売を含む事務作業を銀行に委託する、という体制で運営しています。そして、紙にもこだわっており、宝くじ用に特別に漉いた紙を使用し、デザインも発売時期の季節や色合いなどを考慮して施されているのです。

移り変わる時代の中で多様な役割を担ってきた宝くじ~その歴史や文化を辿る~

引用元:「時代とともに振り返る宝くじのあゆみ」昭和21年(1946) の「相撲籤」|宝くじ公式サイト
https://www.takarakuji-official.jp/about/history/s20s40.html

とくにデザインは、発売当初からさまざまなものが登場しています。例えば、競馬場にて発売された宝くじ「競馬籤」には、競走馬と騎手の躍動感溢れる姿が描かれていたり、大相撲の本場所の際に発売された「相撲籤」では、相撲をとる力士の力強い姿が描かれていたり。その他にも、当せん番号の代わりにクローバーのイラストが載っている「クローバー籤」や、正方形の紙を折り合わせ、三角にした「三角籤」など、ユニークな宝くじも続々と登場しました。

移り変わる時代の中で多様な役割を担ってきた宝くじ~その歴史や文化を辿る~


多様化する宝くじですが、その収益は何に使われているのかご存じでしょうか。つい、当せん金額や当せん者に注目してしまいますが、私たちが宝くじを購入した際の、お金の使い道も気になりますよね。続いては、宝くじで得た収益がどのように活用されているのかを見ていきましょう。

主な収益の活用方法としては、「宝くじの当せん金」「都道府県や指定都市の公共事業に活用」「印刷経費や売りさばき手数料など」「社会貢献広報費」などが挙げられます。なかでも「都道府県や指定都市の公共事業への活用」は、発売総額から当せん金や経費を差し引いた、その内の40%ほどが各都道府県や指定都市に納められ、防災や少子高齢化対策などに使われているそうです。このように街や人のために使われていることを知ると、当せんせずに落ち込んだ時も、少し前向きな気持ちになれるのではないでしょうか。

時代の変化に合わせて姿や役割を変え、私たちの生活に馴染んでいった宝くじ。「購入したことがない」という方も、収益の一部が公共事業へ活用されているため、間接的に関わっている可能性もあります。そう考えると、少し面白いですよね。購入予定の方は、今の時期ですと年末ジャンボなどが発売されているため、当せん番号だけでなく、宝くじのデザインや紙質にも注目してみてください。そして、機会があれば「辨財天秋まつり」に足を運んでみると、当時の宝くじ(御免富)の雰囲気を味わえるでしょう。

文・鶴田有紀


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〈参考文献〉
・『江戸の社会と御免富─富くじ・寺社・庶民─』 |滝口正哉著
http://www.iwata-shoin.co.jp/shohyo/sho1012.htm
・箕面富と宝くじ|箕面山 瀧安寺
https://www.ryuanji.org/minotomi
・宝くじの歴史はどんなもの?|さいたま市
https://www.city.saitama.jp/006/007/001/p014094_d/fil/rekishi.pdf
・史料解説~富くじの明治維新|東京都公文書館
https://www.soumu.metro.tokyo.lg.jp/01soumu/archives/0703kaidoku15_2.htm
・宝くじについて|宝くじ公式サイト
https://www.takarakuji-official.jp/about/top.html

写真提供:
宝くじ公式サイト
https://www.takarakuji-official.jp/

 

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