コラム「紙と生活」

このコラムでは毎回、日頃の生活で目にする紙の印刷物について取り上げます。
その紙が私たちのライフスタイルの中でどのような存在なのか、
また今後どのようになっていくのかをトレンドやデータを元に様々な視点で考察するコラムです。

電子書籍のユーザーが増え続ける現在でも、昔と変わらずに新聞は毎日刷られ、読者の元へと粛々と届けられています。
今回は新聞紙の古い歴史にフォーカスを当ててみました。

石板からはじまる新聞の歴史

新聞の発生は世界の各地で確認されていますが、その中でも最初に新聞の原型をつくりはじめたのはユリウス・カエサル・ツェペリ(紀元前100-144)だとご存知でしょうか。歴史上に大きく名を残したカエサルですが、ローマの執政官となった際に、議会の議事録として「acta senatus(アクタ・セナトゥス )」と呼ばれる、板に書いた新聞を発行しています。当時の議会ではきわめて不透明な政治が行われおり、カエサルは悩んでいたといいます。そこで、一般市民を味方にするべく、新聞を貼り出す形で情報を公開していたのでしょう。


イラスト:平井豊果

時と場所が変わり西暦715年の唐では、紙で作られた最初の新聞が生まれました。玄宗皇帝が政府の発表を報ずる「邸報」というもので、軍事や選挙、宗教など、カエサルがつくったものとよく似ています。また同じころ、イタリアのベネチアでも、十字軍の連絡手段として"ニュース"と呼ばれる新聞が発行されていました。こうして、印刷技術の広がりと共に、ドイツやオランダ、イギリスなど様々な国で不定期発行の新聞が読まれるようになってきます。

日本では江戸時代の後期に「瓦版」と呼ばれる1枚刷りの情報誌が売られていました。印刷物としては祖末なつくりで、粘土板に文字を彫刻し焼いたものを版として、紙に刷ったもの。内容は天気やゴシップ、火事などの事件などがまとめられていたそうです。それらを読みながら(時には歌いながら)売り歩く「読売」という売り子も流行りました。


半人半牛の妖怪「件」を描いた瓦版

そして1861年には、徳川幕府による「官板バタビヤ新聞」が発行されます。バタビヤとは現在のジャカルタのことで、オランダ領時代の名称。当時、開国と共に外国人の数も増え、貿易のために海外の情報を求める人たちもいました。そこでバタビヤの機関誌をもとにした翻訳新聞という形で発行されたのが、バタビヤ新聞なのです。

明治にはいると、東京、大阪、京都など都市部で、定期刊行される新聞が発行されだします。これらは、日本のニュースを日本人が書いた、現在と同じ体裁のものだと言えます。初の日刊紙である『横浜毎日新聞』は明治3年に創刊、そして『東京日日新聞』『郵便報知新聞』と続いていきます。もっともこれらは士族や上流階級を対象としていたものでしたが、一般大衆を読み手としてつくられたのが『読売新聞』『大阪朝日新聞』などで、ふりがなや挿絵のはいったわかりやすい内容でした。(続く)

ライター峰 典子

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