コラム「紙と生活」

このコラムでは毎回、日頃の生活で目にする紙の印刷物について取り上げます。
その紙が私たちのライフスタイルの中でどのような存在なのか、
また今後どのようになっていくのかをトレンドやデータを元に様々な視点で考察するコラムです。

毎日持ち歩くお財布。紙幣はその名の通り、紙で出来たお金のこと。
今回は、生活に欠かせない印刷物の一つ、紙幣の歴史について調べてみました。

物々交換からうまれた紙幣の歴史(前編)

紙幣の歴史の前に、お金がどのように生まれたのか簡単に触れておきましょう。お金という物が存在しなかった古代では、人々は互いに物を交換することで、必要な物を得ていました。ただ、いつも欲しいものを相手が持っているとは限らないし、自分も、不要なものを常に用意できる訳ではありません。そこで物品貨幣と呼ばれるものが誕生します。価値があって、誰もが欲しがり、保存のきくもの。布や米、塩などがお金の役目を果たしていました。やがて人間が金属を生み出すようになると、刀などがそれに加わったといいます。


16世紀ドイツにて。物々交換の様子が描かれている

ばらばらなものではなく、なにか共通で使える交換アイテムを金属でつくろうと、コインを発案したのはギリシャ人です。10世紀ころにはつくられていたのではないかと言われています。アジアでは西暦621年に中国ではじめての硬貨が誕生し、遣隋使が日本に持ち帰りました。日本最古の硬貨は、683年につくられた「富本銭」とされています。

徳川家康は貨幣制度を整え、全国で共通につかえる金貨、銀貨をつくりましたが、人口が増加し売買する品物も増えると同時に、材料である金属が足りなくなってきました。そこで目がつけられたのが原価の安い紙で作ることのできる紙幣です。


山田とは伊勢の地名。130万枚も出回ったという。

日本ではじめての紙幣は、1600年ごろに誕生しました。三重県伊勢にいた商人が発行した「山田羽書(はがき)」と呼ばれるものです。楮(こうぞ)を原料とし、厚手の和紙に版木を使って押印したもので、大黒天が描かれています。商人たちはこれを、重い釣り銭のかわりに使用していました。

明治時代には数種の通貨が出回っていました。大名の領国内だけで使うことのできる「藩札」の他、日本初の全国通用紙幣である太政官札も発行されます。しかし、太政官札は高額なものばかりで使いづらかったため、民部省が少額の紙幣を何種類か追加で発行したそう。さらには民間の会社が発行した紙幣もあったとか。このため、各種通貨が行き交うという非常に複雑な構造になり、通貨制度は非常に混乱していきます。自分の持っているお金を把握するだけで大変そうですよね。


明治通宝。縦型で、鳳凰と龍がデザインされている

そんな中、明治4(1871)年に「新貨条例」が制定されます。このタイミングで単位は「両」から「円」に変更されました。そして、明治5(1872)年に、旧紙幣を全て回収し、新紙幣「明治通宝」を発行しました。これが日本初の西洋式印刷によるはじめての紙幣となります。当時の日本には紙幣の印刷技術がなく、ドイツの印刷業者「ナウマン社」に高額な代金を払い、原版の製造を依頼しました。そのため「ゲルマン札」という愛称でも知られています。デザインと印刷にかかった時間は約1年。その後、ナウマン社に印刷技術を伝授してもらい、ようやく自国で紙幣をつくることができるようになりました。

今回は、駆け足でお金の歴史を振り返りました。次回の中編では、日本の紙幣に隠された印刷技術についてご紹介したいと思います。(続く)

ライター 峰 典子

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