コラム「紙と生活」

このコラムでは毎回、日頃の生活で目にする紙の印刷物について取り上げます。
その紙が私たちのライフスタイルの中でどのような存在なのか、
また今後どのようになっていくのかをトレンドやデータを元に様々な視点で考察するコラムです。

栄養豊富な牛乳は、世界中で飲用されています。
新鮮な牛乳をいただくために欠かせないのが「牛乳パック」の存在です。歴史や構造など、さまざまな角度から秘密をさぐっていきたいと思います。

おいしさ届ける牛乳パック、100年の歴史(前編)


牛と人間の歴史は古く長い

人間が牛を家畜とし、搾乳をはじめたのは中東地域が最初だと言われています。およそ八五○○年前のことです。牧畜が発展するのに伴い、牛乳を飲用するという習慣も世界中に広がっていきます。街中に牛乳屋が登場したのは15世紀のロンドンのこと、そしてアメリカでも17世紀ごろには牛乳販売が行われていたという記録が残っています。


フェルメール「牛乳を注ぐ女」/1658年ごろ描かれた

日本での歴史もとても古く、古墳時代に朝鮮から渡ってきた帰化人によって搾乳が伝わりました。飛鳥時代には「牛乳は身体によい」と、皇族たちが薬として飲用するようになります。江戸時代にはいると、8代将軍である徳川吉宗がオランダ人から牛乳の良さを説かれ、千葉県で牛を飼い始めます。これが酪農の起点となりますが、まだ大名より低い位のものが牛乳を飲むことはありませんでした。

明治時代にはいると牛乳の存在は庶民にぐっと近づきます。実業家であった前田留吉が横浜で牧場経営をはじめたからです。彼はアメリカにも視察に出向き、酪農の発展に大きく貢献した人物です。そして、欧米の影響を受けた戦後の食卓には、牛乳の登場が頻度を増していきます。

容器の歴史へと移りましょう。ヨーロッパで牛乳が売られるようになった15世紀後半には「牛乳輸送缶」と呼ばれる大きなブリキ缶での量り売りが主流でした。しかし衛生面で問題があった為、ブリキからとって変わったのがガラス瓶です。日本人におなじみの瓶いり牛乳が登場したのは明治21年(1888年)のことで、当時から洗浄後にリユースされていたそうです。


紙のフタはめんことして子供たちに愛された

屋根の形をした牛乳パックを発明したのは、アメリカのジョン・R・ヴァン・ウォーマー氏で、1915年のことでした。それをもとに実際に売り物として街に並んだのが、エクセロ社というメーカーの「ピュアパック」と呼ばれる商品です。ちょうどこのころ、アメリカ初のスーパーマーケットが誕生していました。それゆえに牛乳の流通も進化させる必要があったのでしょう。

ピュアパックの構造はとてもシンプル。紙箱の底を糊でとめてから、ワックスを塗って漏れないように加工します。上部はホッチキスで止めただけで注ぎ口はなし。開けるときはナイフを使っていたようです。


エクセロ社のピュアパック

日本の牛乳メーカーが本格的に牛乳パックを使い始めたのは1960年頃から。東京オリンピック(1964年)や大阪万博(1970年)で採用されたことをきっかけに、日本全体に急速に広まっていきました。形状は、わたしたちが知っているものと大差がありません。

現在流通している牛乳パックの原材料は、バージンパルプと呼ばれる木材由来のもの。古紙からつくられる紙より衛生的で強度がつよいのが特徴です。国内の大手メーカーの場合を例にみてみると、針葉樹と広葉樹をミックスさせてつくる厚紙を北欧から輸入し、国内で加工しているようです。パックには水漏れを防止するためにポリエチレンフィルムを両面に貼っていきます。表面よりも裏面(パックの内側)のフィルムの方が厚いのだとか。

後編では、さらにマニアックな牛乳パックの秘密についてご案内したいと思います。

ライター 峰 典子

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