コラム「紙と生活」

このコラムでは毎回、日頃の生活で目にする紙の印刷物について取り上げます。
その紙が私たちのライフスタイルの中でどのような存在なのか、
また今後どのようになっていくのかをトレンドやデータを元に様々な視点で考察するコラムです。

日本人であれば誰もが折れるであろう折り鶴。子どもの遊び道具の定番でもある折り紙は、どのように誕生したのでしょうか。折り紙の歴史物語、第二回は、室町時代から江戸時代にかけてのエピソードを 紹介していきます。

幼稚園と共にやってきたヨーロッパ折り紙(中編)


Origami Jackalope / 126871950@N04

古くから紙を用い、さまざまな形を生み出してきた日本。誰の手によって、現在のような折り紙が最初に生み出されたのかは不明ですが、室町時代には、伊勢貞丈(いせ・さだたけ、1718-1784 )という人が、『包みの記』という本を発行し23種類の折形を提案しています。※折形については当コラムの前編を参照

また、この時代の着物や浮世絵には、折り鶴や宝船などのモチーフが登場しており、折り紙が庶民にも広く知られていたことが分かります。『包みの記』以外にも折り紙が登場する書物は多く、享保2年(1717 )に発行され た『けいせい折居鶴』という本では、女の子が折り鶴に乗って空高く消えていくというシーンや、寺子屋で折り紙を教えているくだりがあり、子供の遊びとしても伝わっていることを垣間見れます。

このころの折り紙は、どんな紙だったのでしょうか。はっきりとはわかりませんが、 恐らく懐紙(かいし)で折っていたのではないかと言われています。懐紙とは長方形の和紙を二つ折りにした、いわば“なんでも紙”。 現代では茶道で菓子を頂くときに使うものというイメージがありますが、当時は「鼻紙たとう」と呼び、鼻をかんだり、メモや便箋代わりにしたりと万能に使う紙でした。


秘伝千羽鶴折形より。百匹の鶴を一枚から折るという、とんでもない作品。

どの時代にも器用な人がいるものです。時代が進むにつれ、折り紙の限界に挑戦する人が登場してきます。寛政9年(1797)には、『秘伝千羽鶴折形』という本が出版され、切り込みを入れた一枚の紙で複数の鶴を折るという高度な折り紙を紹介し、庶民の話題をさらいます。また、寛政12年(1800)には、忠臣蔵の登場人物を折り紙で再現するという、『新撰人物・折型手本忠臣蔵』が出回りました。複雑な形を折ることができるのは、しなやかな和紙だったことも大きく関係しているでしょう。


フレーベルが考案した幾何学折り紙。アメリカンキルトのようで、並べると美しい。


幼稚園で折り紙をする子供の記録が残されている。

日本が鎖国を行っていた頃、ヨーロッパでは日本と全く異なる折り紙文化が独自に発展していました。幼稚園を創設したことで有名なドイツの教育学者フレーベルは、幼児の教材として折り紙を採用していたといいます。フレーベルが考案した折り紙は、幾何学模様をいくつも作り組み合わせる立体パズルのようなもの。紙は正方形で片面に色がついており、私たちのよく知る折り紙であることがわかります。

鎖国が解かれてから、日本はヨーロッパの教育制度を取り入れはじめ、幼稚園と共に、フレーベルの折り紙がやってきます。模様折り紙を使った教育法が日本で浸透することはありませんでしたが、正方形で片面カラーという形状は残り、折り紙は子供が気軽にたのしめる玩具として広まっていくこととなります。(続く)

文 峰典子

参考文献
『ゾクゾク「モノ」の歴史辞典 あそぶ』ゆまに書房
『折り紙は泣いている』小林仲太郎 愛育社
『世界大百科辞典4』笠原邦彦 平凡社

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