コラム「紙と生活」

このコラムでは毎回、日頃の生活で目にする紙の印刷物について取り上げます。
その紙が私たちのライフスタイルの中でどのような存在なのか、
また今後どのようになっていくのかをトレンドやデータを元に様々な視点で考察するコラムです。

大人になると手にする機会も減る原稿用紙。日本語を綴るための日本独自のアイテムですが、いったいどんな歴史がそこに隠れているのでしょうか。「発明編」「発展編」の2回に分けて取り上げます。

書いて伝える原稿用紙 (前編) 発明編 


「原稿用紙」と聞くと、もはやノスタルジックとさえ感じてしまう私たち。夏休みの読書感想文や卒業文集の作文、国語のテスト……。記憶を掘り起こしてみると、教室に座って白紙の原稿用紙と挌闘する自分の姿さえ、鮮やかによみがえってきそうです。改めて言うまでもありませんが、原稿用紙とは日本語を綴るためのマス目がはいった用紙のこと。作家が使うアイテムとしてもよく知られていますが、きょうび、一体どれくらいの人がそれを使っているのでしょうか、余計な心配すらしてしまいます。

パソコンで文章を書くことが当たり前になり、需要は減る一方。それでも、一マス一マスに自らの手で文字という命を吹き込む作業を想うと、いつまでも有り続けて欲しい存在です。
残念ながら、いったい誰の手によって原稿用紙は生まれたのか、はっきりとした事実関係はわかっていません。しかし、事例はかなり古くから確認できるようです。いくつか代表的な例を紹介しましょう。

私たちのよく知っている原稿用紙は、20字×10行×2というフォーマットです。これが“四百字詰原稿用紙”と言われる所以です。江戸時代後期に生きた、藤原貞幹(ふじわらていかん・1732−97)が、この四百字詰めフォーマットの原稿用紙を使って、「好古日録」 という本を書きました。貞幹は、考古学の元祖というような人で、「好古日録」は各地から発掘された古書やお金などの研究をまとめた内容だったようです。ざっくりいうと、物好きが講じて作家になった骨董コレクターのおじさま、といった感じでしょうか。

注目すべきはそのデザイン。マス目は淡い茶色に染められて、線があるべき場所は白抜き、という、なかなかオツなもの。篆刻や書道に精通していたところからみると、貞幹自身がつくったものなのでしょう。これが、現存する最古の原稿用紙とされています。※1

もうひとつ、貞幹とほぼ同時代に原稿用紙をつかったとされるのが、江戸時代後期に活躍し た歴史家、頼山陽(らいさんよう・1780-1832)。当時ベストセラーとなった書物「日本外史」に用いた原稿用紙は、22文字×10行。貞幹のものと違い罫線がひかれているので、私たちが知る原稿用紙とよく似ています。

この時代の書物は、著者が書いた原稿(草稿)と、著者もしくは他の人が筆で写したもの(転写本)とに分けられます。流行している本を把握しておくためでしょうか。「日本外史」も、大名に、写本の提出を求められていたようです。その際に、他の人が写しやすいように、オリジナルの原稿用紙を用いた可能性があります。

これら2つの書物は、どちらも漢文で書かれています。実は、古代中国の碑文を見てみると、罫線と共に漢文が刻まれているのです。失敗なく美しく仕上げるために、線が用いられたのでしょうか。その目的はわかりませんが、確かに原稿用紙の形とよく似ています。そう考えると、中国から原稿用紙がやってきたことに、ほぼ間違いなさそうです。しかし、なぜ日本でこんなにも浸透したのでしょう。後編では原稿用紙の発展について取り上げます。

※1 藤原貞幹「好古日録」は東京都世田谷区の静嘉堂文庫に保管されている

文・峰典子

参考
『エディトリアルデザイン事始 編集制作のための造本科学』松本八郎著 郎文堂
『日本語発掘辞典 ことばの年輪と変容』 紀田順一郎著 ジャストシステム

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