コラム「紙と生活」

このコラムでは毎回、日頃の生活で目にする紙の印刷物について取り上げます。
その紙が私たちのライフスタイルの中でどのような存在なのか、
また今後どのようになっていくのかをトレンドやデータを元に様々な視点で考察するコラムです。

大人になると手にする機会も減る原稿用紙。日本語を綴るための日本独自のアイテムですが、いったいどんな歴史がそこに隠れているのでしょうか。「発明編」「発展編」の2回に分けて取り上げます。

書いて伝える原稿用紙 (後編) 発展編 


江戸時代後期には、日本で見受けられた原稿用紙。しかし、文士たちがそれを愛用し、文学の世界に広めていったのはもうすこし後。先に原稿用紙を活用していたのは、意外にも宮内庁でした。明治以降に活版印刷が普及すると、几帳面な日本人が考えるのは効率的に字数を数えるにはどうすればいいのか、ということ。書き手だけでなく、依頼する側にとっても、原価を計算しやすいからです。

後に大蔵大臣、そして総理大臣となる高橋是清(たかはしこれきよ・1854〜1936)は、若干20歳で大蔵省の通訳職に就いていました。外国の新聞や本を翻訳し、原稿用紙1枚につき50銭をもらっていました。また、大隈重信も通信省で翻訳のアルバイトをし、原稿用紙を用いたことを自伝で語っています。

作家陣が原稿用紙を使い始めるのは、明治20年を過ぎたころから。いち早く、原稿用紙を取り入れた一人に、樋口一葉(ひぐちいちよう・1872-96)がいます。一葉は24歳という若さで夭逝しますが、保存されていた草稿には、自ら線を引いてつくった痕跡のある原稿用紙が見つかっています。 博文館が発行する雑誌に原稿を書くようになると、博文館オリジナルの原稿用紙に書いていたようです。

当時、博文館の他に原稿用紙をつくっていたのは、東京神楽坂にある相馬屋です。相馬屋は現在でも原稿用紙専門の老舗として知られています。この頃の日本は、ジャーナリズムが急成長をみせたころ。新聞に雑誌、大衆小説などが多く登場したことから、原稿用紙の需要も増えていったのは当然の流れといえます。日本語はとても複雑な言語。ひらがな、カタカナ、漢字に数字。句読点や返り点など、印刷の現場を困らせるものが多かったので、原稿用紙で清書された原稿はとても助かったことでしょう。

明治から大正へ時代を進めると、和紙だった原稿用紙は洋紙に。筆記道具も筆からペン、鉛筆にと変化していきます。このころの作家は大忙し。完成した原稿ではなく、原稿用紙に修正を書き加えたものをそのまま出版社に提出することが増えてきます。それはもう、たいそう字も汚かったとか。そういった経緯で生まれたのが校正という仕組み。出版社が使う校正記号も大正時代に標準化していったといいます。

ぐっと最近の話題になりますが、2001年に裁判所の書類サイズが変更になりました。それまでは、原稿用紙と同じB4サイズの紙に縦書きで、袋とじで右綴じが原則。それが、A4サイズに横書きで左綴じに変更になったのです。A4の横書きは世界標準だといいます。原稿用紙が使用されなくなってきた昨今、やむを得ない変更だったと言えるでしょう。

しかし、原稿用紙が消えてなくなった訳ではありません。パソコンのテキストソフトでも、原稿用紙のフォーマットが存在するのをご存知でしょうか。ライター業や小説家など、現在でも原稿用紙(=400字)を基準に報酬を取り決めているケースは少なくありません。きっと、新聞や書籍が紙に印刷される限りは、多かれ少なかれこの習慣が続いていくのでしょう。原稿用紙は、学問の世界に居座り続ける重鎮のような存在です。たまには自分の字で書き綴ってみたいものですね。

タイトル画像について  夏目漱石オリジナルの原稿用紙。大正時代の装丁家、橋口五葉がデザインしたもので、龍が印象的。当時、小説を連載していた朝日新聞の段数に合わせて、1行19字詰めとなっている。

文・峰典子

参考
『エディトリアルデザイン事始 編集制作のための造本科学』松本八郎著 郎文堂
『日本語発掘辞典 ことばの年輪と変容』 紀田順一郎著 ジャストシステム

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