ハグルマ封筒
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創業 戦前のマーケット 戦後から高度成長時代へ 情報化時代の到来・ここ10年のハグルマ封筒
戦後から高度成長時代へ
大阪心斎橋
京阪天満橋駅構内
羽車封筒型録
終戦直後、昭和20年(1945年)紙は必需品であり貴重品であったため、政府からの統制と割当制度によって事業が制約されていた。 また当社も大阪大空襲による営業所全焼という戦争の悲運によって大きなダメージを受けていた。

昭和22年(1947年)になってようやく営業所を蘇生し新しい事務所で事業を再開する。 また昭和25年(1950年)には自由経済の復活と共にマーケットが再開され、戦前から続く文具紙製品の見本市も再開された。
昭和39年(1964年)の東京オリンピック、昭和45年(1970年)の大阪万国博覧会の頃になると世の中は落ち着きを取り戻し、日本経済とともに当社も安定成長が始まる。 国際化が華やかになるに従い商品の売れ筋も多様化。お客様のニーズを汲み取り、当社でも国内初の商品群、白や茶封筒が主流の中でカラー封筒、封筒製袋の技術を使った果実袋など、 その他にもたくさんの商品が開発された。
また封筒の寸法についても尺貫法からメートル法に移行していく混乱期の中で、いち早くJIS(日本工業規格)の認可を受け国内のスタンダードを確立していった。 現在でもJIS審議委員に当社 杉浦敬久が経済産業省 日本工業標準調査会のメンバーとし参画している。
日本経済を襲った昭和48年のオイルショック、紙パニックの中でも、仕入先から安定供給を受けることができ、 そして顧客に恵まれ適正在庫適正販売で乗り切ることができたことも、この高度成長期における象徴的な出来事であった。

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