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コラム「紙と生活」

マッチ箱 小箱に詰まった実用と図案 (前編)

  • マッチ
2018/06/04

この頃は目にする機会がすっかり減ってしまったマッチですが、喫茶店などでレトロなデザインの箱を見かけると、その愛らしさに思わず手にとってしまうのでは。
多くのデザイナーに影響を与えたというマッチ箱。前編ではその歴史について紹介したいと思います。

マッチ箱 小箱に詰まった実用と図案 (前編) アンデルセンの代表的な童話のひとつ『マッチ売りの少女』が刊行されたのは、1848年のことでした。
皆さんもよくご存知のように、この物語のあらすじは「雪が降る大晦日の夜、マッチ売りの少女が寒さに震え火をおこすと、幻影が少女の心を暖める」というもの。
実は、わたしたちがよく知る赤い頭のマッチが発明されるのは、この童話が出版されてから7年後のこと。
この時に少女が売り歩いていたのは、フランス人科学者C.ソーリアが発明した、「黄リンマッチ」だったと言われています。

この黄リンマッチ、どこでこすっても簡単に発火するという仕組みから、火事や事故も多かったのだとか。
そんな背景から、1912年に世界的に製造禁止になったといういわくつきの商品でした。
マッチ箱 小箱に詰まった実用と図案 (前編) 画像上:illustration by A.J. Bayes (1889) for The Little Match Girl.

日本でも黄リンマッチは製造されていました。
そのきっかけは、さかのぼること1870年。
加賀藩士の子どもだった清水誠が、フランスに留学し理工学を学んでいました。
そこに遊びに来たのが、清水の知人の吉井友実。
吉井は明治時代の武士・官僚で、フランス外遊の最中に立ち寄ったのでした。
吉井はホテルにあったマッチを目にし、日本オリジナルのものができないかと思案します。
帰国するとさっそく自宅の別邸を改装し、新燧社という黄リンマッチ工場を創業します。
1875年のことでした。
その後、清水は政府の要請を受け、マッチ工場を視察するためスウェーデンに出向きます。
そこで見たのが、赤リンをしみこませた紙とこすり合わせることで発火させる、無毒で火事も起こりにくい「安全マッチ」。
この視察旅行をきっかけに、安全マッチが国内で量産化されるようになります。
マッチ箱 小箱に詰まった実用と図案 (前編) 画像上:Phosphorus bottle pocket matches, 1828 - Joseph Allen Skinner Museum 1800年代前半の黄リンマッチ

輸出に便利な神戸港が近かったことと、暖かく雨が少ない瀬戸内海の気候が、乾燥工程の多いマッチ製造に適していたことから、兵庫県に国内の7割のマッチメーカーが集中していきました。
当時、アジアで唯一のマッチ生産国だったこともあり、生産量は拡大。
スウェーデンとアメリカと並んで三大マッチ大国と言われるまでになりました。
そこまでにマッチ産業が盛り上がったのには、そのデザイン性が大きく関係していたようです。
中編ではマッチラベルの図案について探っていきます。(続く)

文・峰典子



参考文献:
『絵画の教科書』日本文教出版
『マッチラベル パラダイム―燐票商標様式美』木耳社
『世界大百科事典 第2版』平凡社

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